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伝飛鳥板葺宮(浄御原宮)跡

ある程度はっきりしている「日本の中心」のなかで最古級の遺跡。見どころとしては地味ですが、古代史の舞台として、興味ある人には魅力的なスポットです。

どんなところ?

明日香村中心部に近い、ささやかな「史跡公園」

伝飛鳥板葺宮(飛鳥浄御原宮)跡は、明日香村の中心部「岡集落」の一角にある、ちょっとした史跡公園。石舞台古墳のほうから飛鳥寺へ向かう、観光の「メインストリート」から案内板に従って家並みの間を曲がっていくと、石畳と植え込みがあるスペースが見えてきます。

「史跡公園」といっても、トイレもベンチもなくて、案内板も1つだけ。休憩スポットにも使いにくく、見学にも「予習」が必要な感じです。

見かた・楽しみかたは?

古代史の事件の舞台で、当時の姿・できごとを想像

「伝飛鳥板葺宮跡」とは、「飛鳥板葺宮の跡地と伝わっているところ」というような意味。板葺宮は、7世紀中ごろの皇居・政府。古代史の一大事件、蘇我入鹿暗殺の舞台として知られています。一方で、その数十年後に天武天皇が建てた浄御原宮の跡とも言われていて、いくつかの宮跡が重なって発見されているようです。

現地は、発掘調査の結果をもとに、建物跡を植え込みで、柱跡をコンクリートの円柱で表しているほか、井戸の跡も再現されています。建物が建ち並んでいた姿や、ここで起こったできごとを想像するのが、伝飛鳥板葺宮跡の楽しみ方。とはいえ、あるのは案内板1枚と、「跡」だけ。想像力を試されるスポットです。

周辺は、田んぼが広がるのどかなところ。田んぼの向こうには甘樫丘も見えます。のんびりした環境ですが、トイレもベンチもなくて、散策途中の休憩スポットとしては少しものたりない感じ。

歴史は?

7世紀にあった3つの宮の跡

日本書紀などに書かれている、7世紀前半の飛鳥岡本宮・7世紀半ばの飛鳥板葺宮・7世紀後半の飛鳥浄御原宮があったところと考えられています。飛鳥板葺宮は、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した舞台と言われているところ。

1959(昭和34)年から発掘調査が行われて、昭和38年には井戸の枠が発見されて話題になりました。3つの宮のうち、飛鳥浄御原宮が一番有力視されているとか。

どうやって行く?


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近鉄飛鳥駅からバスで14分・近鉄橿原神宮前からバスで14分
「岡橋本」下車徒歩7分

近鉄岡寺駅から徒歩40分

伝飛鳥板葺宮データ

見学料 無料
見学時間 1日中

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