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元興寺(塔跡)

昔の大寺、元興寺の五重塔跡がある小さなお寺。塔跡の礎石や非公開のお堂があるだけの寂しいお寺ですが、栄えた大寺の巨大な塔に思いをはせるスポットです。

どんなところ?

ならまちの路地の奥にある、寂しいお寺

元興寺(塔跡)は、ならまちの古い町並みのあいだにある路地を入った奥にあります。入口もさりげなくて「本当に入っていいのかな?」という感じ。境内は人もほとんどいなくて寂しげ。入ってすぐに、石仏がたくさん並んだ井戸があったりして、不気味な感じもします。「五重塔の礎石を見にいくスポット」といったところ。

見かた・楽しみかたは?

礎石を見て、いにしえの大塔と大寺に思いをはせる

見どころは、とにかく五重塔の礎石だけ。東大寺・興福寺と並ぶ巨大なお寺だった元興寺の、これまた巨大な五重塔が建っていたところです。一説によると、京都・東寺の五重塔より高かったとか。元興寺ができたときからあった塔で、元興寺の大部分が焼けても、江戸時代末まで千年以上建ちつづけていました。

今は礎石と土台だけですが、江戸時代の末ごろまで、ここには間違いなく巨大な五重塔が建っていたわけです。何もない空を見上げて、五重塔を想像したり、元興寺が栄えていたころに思いをはせたりするのが、ここの楽しみ方。奈良市内の見どころとしては珍しく、遺跡を楽しむ想像力が試されます。

歴史は?

元興寺が分裂したうちの1つ 創建時の塔は江戸末期に消失

飛鳥にできた日本最初のお寺「法興寺」(今の飛鳥寺)が奈良に移って、元興寺に名前を変え、今のならまちがすっぽり入るくらいの巨大なお寺として栄えました。室町時代の大火事のころ、元興寺は3つのお寺に分裂して、そのうちの1つが、五重塔を中心とした「元興寺観音堂」というお寺。

東大寺の末寺となって、元興寺ができたときからある五重塔と観音堂が残っていましたが、1859(安政6年)の火事で焼失。その後、1935(昭和10)年ごろ、今境内にあるお堂が建てなおされました。

どうやって行く?


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近鉄奈良駅から徒歩15分
JR奈良駅から徒歩25分

JR奈良駅からバスで8分
「田中町」下車徒歩5分

元興寺(塔跡)データ

正式名称 元興寺
宗派 華厳宗
拝観料 無料

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