大安寺
(だいあんじ)
立派な門構えや奈良時代から残る仏像に、昔をしのべるお寺。観光エリアから遠くて観光客もほとんど来ないですが、歴史があって由緒正しいスポットです。
どんなところ?
奈良の町はずれにある、広々して心地いい境内
大安寺は、JR奈良駅の南西の方にあります。奈良の町はずれといった感じで、住宅街と田園の境目のようなところ。風格ある南門を入ると、庭園風に整備された広々した境内が開けます。植木と落ち着いた建物が適度に混ざって建っていて、ベンチも置いてあってなんとなく心地いい感じ。
見かた・楽しみかたは?
大寺だった昔に思いをはせて、奈良時代から残る仏像を拝観
入口の南門がなかなか立派。興福寺の旧一乗院の門を移築したとのことで、簡素ながら重厚な門。シックな色合いも決まっています。南門が建っている広い土台の部分は、昔の南大門の基壇で、前を通る田舎道は平城京の六条大路にあたる道。まずここで、平城京とそこにあった大寺・大安寺に思いをはせたいところ。
境内にはまばらに建物が建っています。どれも比較的最近できたものです。本堂には本尊の十一面観音、後ろにある嘶堂(いななきどう)には馬頭観音がまつられていて、どちらも奈良時代から残る重要文化財ですが、秘仏で期間限定の公開。「讃仰殿」という宝物庫では、奈良時代から残る6体の重要文化財の仏像を常時見られます。
南門の南には、こんもりとした八幡神社の森があって、さらにその南に、大安寺の東西両塔の跡があります。特に行ける道があるわけでもなく、遠くから眺めるくらいですが、門の外側に塔があるという独特な「大安寺式伽藍配置」や、昔の敷地の広さを教えてくれる遺跡です。
歴史は?
聖徳太子創建のお寺が、移動を繰り返して平城京の大安寺に
もともとは、聖徳太子が建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が始まり、といわれています。その後、百済大寺→高市大寺→大官大寺と移動・改名を繰り返し、平城遷都後に平城京に移って大安寺になったとか。
奈良時代には、広大な敷地に800人以上の僧侶が住んで、「南大寺」とも呼ばれて繁栄したようです。平安時代に入ると次第にさびれて、平安末期の火事や安土桃山時代の地震で大打撃を受け、お堂1つだけ残った時代もあったとのこと。明治になってから少しずつ復興が進んで、大正10(1921)年に塔跡が国の史跡に指定されました。
イベントは?
名物の笹酒を飲める光仁会・竹供養など
1月23日 光仁会(癌封じささ酒祭り)
大安寺にゆかりのある光仁天皇の御忌法要。長い青竹の筒に入った「ガン封じの笹酒」がふるまわれます。桓武天皇が大勢の役人を引きつれて、大安寺で光仁天皇の一周忌法要を営んだのにちなむ行事です。
光仁天皇は、よく大安寺の竹を切って、酒を注いで飲んでいたようで、竹の栄養成分のおかげか、健康で長生きしたとか。これにあやかろうと、大勢の参拝客でにぎわいます。
4月21日 正御影供(しょうみえく)
弘法大師の入定日(にゅうじょうび)の行事。まず昼過ぎに、本堂にまつった弘法大師の絵の前で、雅楽が流れるなか法要。その後、前の広場で、山伏と僧侶による柴灯大護摩(さいとうおおごま:屋外でたく大規模な護摩)が行われます。火がおさまった後は、まだ火の残る丸太の上を、まず山伏、次に一般参拝客が素足で渡る「火渡り」。
本堂まわりの回廊には、インドの八大仏跡と四国八十八ヶ所の砂の入った袋が置かれ、お砂踏みができます。
6月23日 竹供養(ガン封じ夏祭り)
いろいろな場面で利用される竹に感謝する行事。昼過ぎに、まず本尊の前に青竹を置いて法要を行った後、境内の竹林に作った祭壇でも法要があります。
当日は、浴衣姿の笹娘が竹筒に入った笹酒をふるまいます。その他、虚無僧の尺八演奏や竹の植樹など、催し豊富なお祭りです。
どうやって行く?
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近鉄奈良駅からバスで8分・JR奈良駅からバスで5分
「大安寺」下車徒歩12分
JR奈良駅から徒歩30分
大安寺データ
正式名称 | 大安寺 |
宗派 | 真言宗 |
拝観料 | 本堂・収蔵庫 大人・大学生:400円 高校生:300円 など (秘仏公開時は100円増) 境内は拝観自由 |
拝観時間 | 午前9時~午後5時 |