橘寺
聖徳太子像などの重要文化財や、謎の二面石を見られるお寺。聖徳太子が建てたといわれる由緒正しいお寺で、飛鳥のなかでもかなり充実したスポットです。
どんなところ?
田んぼに囲まれて建物が立ち並ぶ、充実したお寺
橘寺は、岡寺駅から明日香村中心部へ向かう道路の近く、川原寺跡の向かい側にあります。まわりは田んぼに囲まれていてのどかなところ。そのなかに、1ヶ所だけ塀に囲まれて立派な建物が集まっているところがある、という感じ。境内は、適度に植木がある中に建物が立ち並んでいてなかなか充実している印象です。
見かた・楽しみかたは?
聖徳太子像などの重要文化財群と二面石を拝観
橘寺では、重要文化財をいくつか見られます。まず本堂には聖徳太子坐像。室町時代の像で、聖徳太子が35歳で勝鬘経(しょうまんきょう)を読んだ時の姿です。観音堂にある平安時代の如意輪観音は、右ひざを立てて右手でほおづえをつく、柔らかい印象の仏像。春・秋だけ特別公開される収蔵庫「聖倉殿」では、平安時代の日羅像・地蔵菩薩・太子絵伝などを見られます。
橘寺のもうひとつの見どころは、飛鳥に多い謎の石のひとつ、二面石。本堂の山側、境内の「はずれ」といった印象のところに、1メートルくらいの石が置いてあって、両面に顔が彫ってあります。片方が善の顔、もう一方が悪の顔で、人間の二面性を表しているとか。人間とも猿ともつかない顔が石いっぱいに大きく彫ってあるあたり、いかにも古代的。
建物はどれも、せいぜい江戸時代末期くらいの新しいものですが、平安時代末に落雷で焼けた五重塔の礎石だけが昔を語る感じ。丸い穴のまわりに小さい丸い穴が重なった形で、なんとなく優美さも感じます。境内の案内図を見て、創建当時の橘寺の姿を想像してみたいところ。
歴史は?
飛鳥時代、聖徳太子が自分の生誕地に創建と伝わる
飛鳥時代の606(推古天皇14)年に聖徳太子が建てた、太子創建七ヶ寺のひとつと伝えられています。ただ、50年以上後の天智天皇の時代にできたという説もあって、よく分かっていないようです。欽明天皇の橘の宮という離宮があったところで、聖徳太子はここで生まれた、とも言われています。
記録の上では、天武天皇の時代に火事があった、というのが最古。奈良時代には大繁栄して、いま法隆寺にある玉虫厨子も、もとは橘寺にあったとか。その後、戦いなどで焼けて衰退したとのこと。
イベントは?
「橘」ゆかりの法要と、たくさんのお供えが並ぶ「お会式」
5月3日 橘祭(田道間守法要)
橘寺の名前の由来にもなった橘(ミカンの一種)を日本にもたらしたという、田道間守(たじまもり)をしのぶ法要。法要の後、奉納されたかんきつ類がふるまわれるほか、有名なお菓子屋の出張販売もあります。
田道間守は、垂仁天皇から不老長寿の薬を探すように命じられ、探しに行った人。田道間守が持ち帰った種を植えたら橘がなったので、この土地を橘と呼ぶようになったとか。橘といっしょに黒砂糖も持ち帰ったことで、かんきつ類とお菓子の神様とされていて、それにちなんだお祭りです。
4月・10月第3日曜日 聖徳太子報恩法要(お会式)
聖徳太子をしのぶ法要。50種類の食べものを2つずつ、計100個の三宝に乗せて、本堂の聖徳太子像の前に並べてお供えします。百味飯食(ひゃくみのおんじき)と呼ばれるお供えで、境内の経堂から本堂まで、大勢の人が並んで、手渡しで運んでいくのがユニーク。
お供えが終わると本堂で法要。終了後、「御供まき」と呼ばれる餅まきがあります。
どうやって行く?
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近鉄飛鳥駅から徒歩35分
近鉄飛鳥駅からバスで13分
「川原」下車徒歩4分
橘寺データ
正式名称 | 仏頭山上宮皇院菩提寺 |
宗派 | 天台宗 |
拝観料 | 大人・大学生:350円 中高生:300円 など |
拝観時間 | 午前9時~午後5時 |